mako watanabe ***
like the ocean we share, we are one in the same ***
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この地に眠る亡骸は、
美しく、しかし虚栄心はなく、
強く、しかし傲慢でなく、
勇敢であっても凶暴でなく、
人が持つすべての美徳を持ちながら、悪徳を持ち合わせない者
この賞賛が人間の灰に贈られるなら、
それは無意味な甘言だが、
これは1803年の5月にニューファンドランドで生まれ、
1808年11月18日にニューステッドで亡くなった犬のボーツウェインの思い出に捧げるものだ

誇り高き者が土に還るとき、栄華はなくても家に守られる
彫刻家は華麗な悲哀を施して、そこに眠る者の物語を刻む
墓碑に記されるのは理想の姿であり、本人を表すものではない
哀れな犬は、一生の揺るぎない友であり、
一番に出迎え、真っ先に守る
その誠実な心は、ずっと主人のもの
その人のためだけに働き、闘い、生き、呼吸する
報われずに倒れ、真価に気づかれず、地上での魂を天国で拒まれる

一方、人は無益な虫
許しを求め、我こそは絶対と主張する
人間よ
弱々しい、この世の間借り者
隷属に堕落し、権力に汚れる
汝をよく知る者は愛想を尽かして離れても、塵の堆積のように卑しくある
汝の愛は欲望、友情は偽り、舌は偽善、言葉は嘘
生まれつき貧弱でありながら、名声を高め、同族は恥ずかしさに顔を赤らめる
汝らはこの素朴な墓を眺めるだけで、通り過ぎるかもしれない
それは、汝らが悼む者ではないから
この墓碑は、唯一かけがえのない友の名残
彼は、ここに眠る
George Gordon Byron: 1788~1824

美しく、しかし虚栄心はなく、
強く、しかし傲慢でなく、
勇敢であっても凶暴でなく、
人が持つすべての美徳を持ちながら、悪徳を持ち合わせない者
この賞賛が人間の灰に贈られるなら、
それは無意味な甘言だが、
これは1803年の5月にニューファンドランドで生まれ、
1808年11月18日にニューステッドで亡くなった犬のボーツウェインの思い出に捧げるものだ
誇り高き者が土に還るとき、栄華はなくても家に守られる
彫刻家は華麗な悲哀を施して、そこに眠る者の物語を刻む
墓碑に記されるのは理想の姿であり、本人を表すものではない
哀れな犬は、一生の揺るぎない友であり、
一番に出迎え、真っ先に守る
その誠実な心は、ずっと主人のもの
その人のためだけに働き、闘い、生き、呼吸する
報われずに倒れ、真価に気づかれず、地上での魂を天国で拒まれる
一方、人は無益な虫
許しを求め、我こそは絶対と主張する
人間よ
弱々しい、この世の間借り者
隷属に堕落し、権力に汚れる
汝をよく知る者は愛想を尽かして離れても、塵の堆積のように卑しくある
汝の愛は欲望、友情は偽り、舌は偽善、言葉は嘘
生まれつき貧弱でありながら、名声を高め、同族は恥ずかしさに顔を赤らめる
汝らはこの素朴な墓を眺めるだけで、通り過ぎるかもしれない
それは、汝らが悼む者ではないから
この墓碑は、唯一かけがえのない友の名残
彼は、ここに眠る
George Gordon Byron: 1788~1824
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それは昨夜のこと。
久しぶりにブログの管理ページをいじっていたとき。
カテゴリーを増やしたりしていたら、いきなり古い記事がトップに現れた。
あれ〜?
なぜか「ここに新しく現れた」と思い込み、削除しちゃった。
しかしそれは「ここに移動した」だったらしい。
で、削除したのだから消えちゃったわけです。
あっけらかんと。
あれっと思う間もなく。
まだ自分でブログを始める前、余所のサイトで「消してしまった!」という悲しそうな一言と、コメントしてくれていた方たちへのお詫びを見ていたけど、こういうことだったのですねっ!
コメントしてくださった、たかはしさんと金巻さん、ごめんなさい!
金巻さんは家族猫の闘病中で、その子と重ね合わせて読んでいただいたとのことでした。
ブログのアドレスも書いてあったのに、申し訳ないです。
消えるなら、コメントのない記事にしてほしかった。
もう〜、やはり私はこういうのの才能ないのね。
お詫びと共に、再度アップします。
たしか、この画像もあったと思う。
<ニャーゴのグッパイ>
ぼくニャーゴ、もうすぐ19歳
そろそろ旅立ちを考えてる
お母さんは、ぼくのやせた背中をなぜながら、またひとつ、ためいきをついた
だいじょうぶ、そこはね、これから翼が生えてくるところだから
ときどき少しだけ息が苦しいのと、みんなが悲しがるのがせつないのを除けば快適だよ
ベッドはあたたかいし、ぼくは今、とてもみたされた気持ち
さっき、お母さんが買い物に出かけたときから今まで、うとうと眠っていたんだ
お父さん、そろそろ帰ってくる時間だよね
今頃は駅に着いてるよ
そんな感じする
年をとった猫のカンは、ますます鋭いから
早く帰ってこないかな
誰かが外の匂いを運んでくると、モヤモヤしていた頭がパッと冴え渡る気がするんだよ
お父さん、夕飯が終わったら、またぼくを抱いて散歩に行くかな
「猫は月夜に集会するっていうから」って
しかしまぁ、それは月夜に限らないわけだし、それにぼくはこの家の家族になってから出歩かなくなって、仲間もいないよ
ある夜、お父さんは公園のベンチで空を見上げながら、つぶやくように言った
「お前から自由を取り上げちゃったからなぁ」
そんなふうに考えてたの?
ぼくの自由を奪ったって?
やめてよおって唸った
たしかに家から出られない最初の一ヶ月は、つらくてくやしくて大騒ぎした
でもそれが一体、どれほどの価値あることかって今は思う
どこかの雄猫とのケンカでケガするとか、交通事故に遭うとか、病気を拾うとか、危険とセットになった「自由」と引き換えに、ぼくが得たものの大きさといったら!
ほら、散歩の最中もお父さんのジャケットの内側に、さらにタオルにくるまれて、お父さんの心臓の音を近くに聞いている
すごくあったかくて(秋の夜を歩いているのに、だよ)、これ以上いいことってあるかな
それにね、猫の魂はどこまでも自由なの
魂が自由であれば、どこでだって平和に生きられる
そういうものなんだ
だから、お父さんもお母さんも
ごめんなんて、言わないで
二人がぼくを選んでくれたように、ぼくも二人と暮らすことを選んだんだ
あのね、あまり悲しんだらダメだよ
いろんなこと思い出して、悔やんだりしないで
病院でのこととか
ぼくが通院をいやがったこと、治療を痛がったこと、薬を飲むのに苦労したこと
それらを、お父さんとお母さんの心の重荷にしないで
ぼくは、わかっているから
ぜんぶ、ぼくのための選択だったということも
二人も一緒に、同じように苦しんでいたことも
お父さんとお母さんが与えてくれたものには、すべて意味があるとずっと知ってた
だから治療も薬も、ぼくは受け入れた
(効果があるかないかは、別の問題)
それに最期の大切な時間を病院じゃなく、こうして自分の家で、二人を近くに感じながら過ごせるようにしてくれたのが、すごくうれしい
ぼく、ちゃんとときどき帰ってくるから
ぼくの先代猫だったミーや、その前のルルや、その前のニャン太のように
あれ?
気づいてたでしょう?
たまにぼくが、空中の一カ所をじっと見つめたり、両耳をピンと立てたりしているのを
あれはさ、ミーとルルが本棚の上で追いかけっこするのを眺めたり、ニャン太が窓の外にスズメがいるって騒ぐのを聞いたりしてたんだよ
知らなかった?
知ってたよね
みんな、ちょくちょくきてること
甘えん坊のニャン太ったら、お母さんが台所に立っているときは、しょっちゅう足もとに体をすりつけてるよ
ルルは、一週間の半分くらいは泊まってゆくかな
もちろん指定席の、お父さんの首もとで丸くなってね
最近、考えるんだ
生きていることと、死ぬことのちがいについて
だって、今はこの世に体を持たないミーたちは、生きていたときと変わらず、この家族のそばにいるでしょ
肉体がなくなると、耳の後ろやおなかをかいてもらえないのは淋しくても、それだけのこと
そのことを知っているからぼくは、死をおそれてはいない
だけど、お父さんやお母さんは、きっとすごく泣く
ぼくに会いたいと思ってくれるのはうれしいけど、たくさん泣いたあとは、またいっぱいわらってね
そのほうが、ずっといいもの
ニャン太たちもぼくも、そのほうが好きだもの
天国に行ってもぜったいぜったい、いつだって近くに帰ってくるから
今までと同じに、そばにいるから
だって、ぼくの家はここだけだもん
19年前の、駅前の植え込みで、ひとりぼっちで途方に暮れていた日から
ぼくの両目は、めやにでふさがっていて、ろくに見えなかったけど
でも、ちゃんとわかったよ
お父さんと、お母さんのてのひらが、ぼくは大好き
お父さんと、お母さんの声が、ぼくは一番大好き
ぼくが、お父さんの胸に抱かれて初めて家にきた日のこと、覚えてる?
お父さんがお湯に濡らしたコットンで、ぼくの目と、カラスにつつかれた血が固まってたおしりを、ていねいにふいてくれたよね
ほのかに、あたたかいミルクの香りがして、目の前が明るく見えたとき、わーおって思った
家って、よくできたところだよね
雨も風も防いで、食べるものも飲むものもあるじゃない
でも、なんといってもステキなのは、ぼくをちゃんと見てくれる人がいることだ
駅の近くに住んでたころは、人はぼくが見えても、すーっと通り過ぎて行っちゃった
見えないふりをする人もいたし、ほんとに目に入らない人もいた
ぼくを認めてくれる人がいるって、なんてステキなことだろう
ぼくだけの名前が、ぼくを世界で一匹だけの存在だと思わせてくれる
この地球の上で生きてるって、感じさせてくれる
今ぼくの目は、拾われたときよりもっと見えなくなったけど、そんなの問題じゃない
家の隅の狭いすき間まで、見えていたころと同じに頭の中に描けるし、二人の顔も、どこにいて何をしてるかも、どんな気持ちでいるのかまで、すべてわかるもの
猫のお母さんから、猫として生まれたぼくが、人の家族として死のうとしている
このことは、ちょっとした感慨だな
人間の家族になれて幸せだったな
というか、お父さんとお母さんの子どもになれたことが、本当に幸せ
ほんとだよ
ほんと
ありがとう
ふぁぁ〜あ
少し、ねむくなってきちゃった
でも、お父さん帰ってくるまで待とうかな
それまで、ねぇ、お母さんの声を聞かせて
ⓒmako watanabe 2009
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