「人が死んだら、どうなりますか」
首都圏の小学校二校の、高学年児童を対象としたアンケート(日本女子大学・中村博志教授主宰「死を通して生を考える教育研究会」による)が行われ、全体の三分の一がこの問いに対して「生き返る」と答えたという。「分からない」と、死を認識した回答が残りを二分した。
小学校高学年といえば、大人と同等の口をきく年ごろだ。それが、この程度の認識ではと驚いたが、今の彼らの日常を考えると、そうなってしまう理由も想像がつく。ひところ流行した電子ペットしかり、ロールプレイイングのゲームでは、死んだ人間をリセットして何度でも生き返らせることができる。かれらがどっぷりと浸る仮想空間では、命は瞬時に取り替えのきくモノに過ぎない。
また、実際に死が身近にないことも原因の一つとして挙げられよう。核家族化が進み、祖父や祖母が自宅で亡くなることも少なくなった。「命の大切さを学ぶ」との目的で学校で小動物を飼育しても、校庭の日の当たらない隅に設置された、臭うような飼育小屋の動物に愛情はわかないし、その死が悲しいものでもないだろう。都心の約六割の家庭が集合住宅に住んでいるというが、そのほとんどがペット飼育を禁止しているので、家族同様に暮らしたペットの死にあうことも、なかなかない。
少年犯罪が凶悪化し「どうして人を殺してはいけないのか」「人を殺す経験をしてみたかった」というせりふが、その都度私たちを震撼させた。死を現実的に受け取れない子どもたちが今、確実に増えている。死というものに向きあい、その厳粛さ、絶対さを実感できない限り、命の大切さを学べはしない。
海外では学校や家庭で、赤ちゃんの誕生、命、死ぬとはどういうことか、人の死による深い悲しみ、そこから立ちなおることなどについて、折にふれてオープンに話しあっていて、授業で行われる生きた動物の解剖実習も選択制であったり代替法を用いつつある。一方、日本では死というテーマは、まだまだタブーとされ回避される傾向にある気がする。生きることと死ぬことは人間の根元的な部分であるからこそ、より若いうちから、その年齢なりに、しっかり考えて欲しいと思う。自分にも、自分以外の他者にも、たったひとつしかない命。だから大切だし、決して奪ったり奪われたりしてはならない。そして、どんな死も悲しむべきことなのだ。それが、命の大切さを学ぶということではないだろうか。
<2002年11月4日 教育新聞>