エッセイ  <女友だち> 
 
 友だち、という呼び名には懐かしいような、ほっとするような、優しい響きがある。
”友達”と書けば、ヘッセの小説に出てきそうな律儀な友情を想像するし”トモダチ
”、なら仕事上のお付き合いで二、三回会って、食事でもすれば、そうなるのかなあ
と思う。”ともだち”だと全部ひら仮名のせいもあるだろうが、どこか幼い感じ。だ
からなんとなく私は”友だち”、が好き。
 女友だちは多い? と聞かれれば、それは定義によるだろう。学生時代の友人、仕
事場で知り合った気の合う人、恐らく一生、付き合うだろうと思われる女友達が何人
かいる。そして何に一度しか会う機会がなくても、ずっと好きでいる女性がいる。七
夕並みの頻度でも、会えれば時間を忘れてお喋りに興じる。で、益々好きになる。そ
んな女友だちの一人を、ご紹介したいと思います。
 
 彼女は18才のとき、39才の男性と結婚した。当時、彼は大層なお金持ちだった
。だから素足にジーンズ姿で茶色に染めたカーリーヘアーをなびかせた彼女に対して
、大方の人間が持っていた思惑というのは、推して知るべしである。あの結婚は長続
きしないさ、という周りの無責任なうわさ話を余所に、二人仲良く何年かが経ったこ
ろ、夫は突然、貧乏になった。人の善い彼は親友の借金の保証人となり、そのまま最
悪のパターンにはまってしまったのだ。
 さて、その後の彼女の動向に周囲の予想は覆された。働き始めたのである。それも
、彼女の派手な外見のイメージからはかけ離れた、小さな個人病院の受け付けとして
。そしてその後も、どんどん我々を驚かせ続けてくれた。なんと、正式な看護婦さん
になりたいと言いだした。どうして看護婦さんなの? (そこには”それも今さら”
というニュアンスが多分に含まれていた)という問いに対する答えに、私は言葉がな
かった。
「うちは夫と私の年令が21も離れているでしょう。将来、彼が年をとって何かが起
こったときに、私が看護婦だったら咄嗟の処置というのができるじゃない」
 
 26才の出発であった。まず最初にクリアーしなければならないのが、看護学校の
入学試験。一緒に受験するのは、十代の女の子たちだ。
「ねえ、大丈夫かなあ? 私の脳細胞なんて日々死んでるっていうのに、15の子に
混じって試験を受けようなんて、やっぱ無謀だよねえ。数学とか、どうしたらいいん
だろ?」 
 と言いながらも、近所の大学生を家庭教師に迎え、無事試験に合格し、看護学生と
なった。その途端にレポート提出や暗記することが山のようにあるのに追われ、准看
護婦になると今度は病院での実習も加わった。そして悪いことに、その時期に家計が
とても苦しくなってしまった。
 やはり無理な計画だったのかもしれない、と相談にわが家にやってきたとき、私の
母が一つの提案をした。それは、奨学金をお出ししようというものだった。彼女が正
式な看護婦さんになれる、その日まで。その日のために。
 あかい目をして帰っていった彼女からは、ほとんど連絡がなかったように思う。た
まのお休みにも宿題に精を出していたらしい。それでも毎年お正月に会うと、目一杯
、ギリギリまで頑張っていることの充実感を熱く語ってくれて、私もそれがとても嬉
しくて、二人して元気な酔っぱらいになったものだ。
 そうしてある年の春まだ浅い日に、彼女は晴れ晴れとした表情で現れた。卒業である。
「本当にありがとうございました。お母さん(私の母のこと)の奨学金のお陰で、看
護婦になれました」
 母はそれだけでウルウルしてるのに、次の言葉で絶句した。
「それでね、何とか御恩返しをしなくちゃいけないと思ってね、どうしたらお母さん
が一番喜んでくれるかなあって考えたの。でね、私が学校を首席で卒業したら、きっ
と喜ぶだろうと思って、ものすごく頑張ったんです……喜んで貰えますか」
 並みいる努力家たちに囲まれ、11年遅れたスタートを切った彼女が、そのトップ
に立って卒業した。
 魅力的な笑顔で報告する彼女は相変わらず腰まで伸ばした茶色い髪で、透けるよう
な白い肌の日本的な顔立ちに、真っ赤な口紅が映えていた。それらは彼女が18のこ
ろとちっとも変わっていない。ただその瞳が力強い自信を得て、さらにキラキラと光
っていた。
 
 友情は、ときを重ねてゆけば愛になる。
 だから私は、こんな女友だちに恋をしているのかもしれない。私が恋する女友だち
たちは仕事を持っている、いないに係わらず、みんな凛々しい。背筋をぴんと張って
、前を見つめて生きている。生きていると悲しいことや、苦しいことや、煩わしいこ
とがいっぱいあるけれど負けはしない。それどころか、そうした中でも、ささやかな
幸せを見いだす術に長けている。私はそんな彼女たちを横目で見ながら見習って、そ
してまた好きになる。