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◆ 瀬川 219.100.149.145 <classis@m13.alpha-net.ne.jp> 2005-06-21 (Tue) 14:11:45
ぺピンさん、ごめんなさい。
(少々、勇み足をしてしまいました。)
いなづまさん、こんな現実も知って下さい。
(捨て猫=ノラへの、餌やりの現実です。)
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これは皆さんに聞いて頂きたいのですが、
この勇み足も、悶々とした想いがあるので書いてしまったところがあります。
実は昨日も、公園の餌やりの帰りにあったことですが、
ある高齢な姉妹と行き違いました。
この二人は、私を見ると“悪いことをした子供”のように、
「私、何も持ってませんよ」と、手を広げて見せます。
そうなんです。
この二人は、正に無責任な餌やり!
不妊去勢はもちろん、餌をぶちまけて行くので周りから苦情を言われます。
私、餌をやらないでくれと再三言ってるんで、私を見ると怒られると思うんですね。
この前、中々食欲が無く(少し元気も無い)心配な子が、
この二人を見たら、嬉しそうに(そして元気に)寄って行きました。
二人は、私が餌やりをはじめるずっと前からやっていたんですね。
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駅の裏には、6頭ほどのノラが居ます。
ここでも、この無責任な餌やりは横行していました。
・・・というより、それがあったから6頭が“生きていた”・・・。
ここでは、果物屋のおばさんと、
大衆飲み屋のおじさんが、いつも置き餌をしていました。
私が知った時は、すでに2頭のお腹が膨らんでいました。
(実は、今も1頭お腹が膨らんでいて、1、2日の内に捕まえ手術する予定です。)
果物屋のおばさんには、
私、「エイズが移るから、1頭ずつやってよ」と言ってます。
でも、おばさん「あっ、そうなの」と全く意に介しません。
飲み屋のおじさんには、
もう、猫たちを見る“満面の笑顔”を見たら、何も言えません。
公園の高齢な姉妹も、
駅の裏の果物屋のおばさんも、飲み屋のおじさんも、
今はただただ、ノラたちの命をつないでくれた、有難うという気持ちだけです。
そう言えば、私も餌やりの当初は、
責任など考えず、正に無責任な餌やりをしていましたね。
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こんなことを書いたのは、
決してぺピンさんへのあてつけじゃないんです。
ネットなどでは、この“無責任”という言葉が横行していますが、
それを「一般論(理屈)」として言う、危険性を言いたいんです。
こんな話もありました。
「ノラの子猫が居たけど、飼えないのに手を出すのは悪いことだと思って、
見てみぬ振りをしていました。
そしたら、ある日その子が口から泡を吹いて死んでいたんです。
お腹がすいて、落ちていたタバコを食べたんです。」
何事も、ケースバイケース、
それぞれのケースで考えれば良いことなんです。
それなのに、この“無責任”という言葉が呪縛になってしまった。
もう一つ、この“責任”や“迷惑”という言葉は、
ともすると、“何もしない方が良い事”にされてしまいます。
“何もしない事”は、無関係、無関心につながります。
関心を持ち、善意の気持ちから手を差し伸べる事が、
“悪い事”になってしまうのは、決して良い社会とは思えません。
(そうさせないためにも、大変ですが、
善意の行為を止めさせるより、良い方向に向ける努力が大事と痛感しております。)
マザー・テレサに、こんな言葉があります。
「愛の反対は、憎しみでなく無関心・・・・ 」。
◆ いなづま 203.136.206.189 2005-06-21 (Tue) 10:58:23
こんにちは。
私は進路に悩む大学生です。捨て犬猫がなくなる社会を作るために、それを職業にすることは難しいのでしょうか・・・・??どういう道があるのかわからず今苦しんでいます。渡辺さんをはじめとするみなさま、どうかアドバイスがあればよろしくお願い致します。
◆ ぺピン 218.223.98.125 <言葉足らずでした> 2005-06-20 (Mon) 15:05:58
瀬川さん、はじめまして。
言葉足らずの表現が誤解を招いてしまったようで、申し訳ございませんでした。
「外にいる猫に無責任に餌を与えることが引き起こす悲劇」とするべきでした。
「無責任に」が抜けておりました。
しっかりとした地域猫活動を否定する気はさらさらございません。
目標が出来ました。 ◆ さや 220.106.132.240 <sayaka0416@violin.ocn.ne.jp> 2005-06-19 (Sun) 15:36:08
私は今、18歳で高3です。
眞子さんの本を読むまで、私はただの犬好きでした。だから、眞子さんの本を読んで、私の知らない間に沢山の命が消えている事を知った時はとてもショックでした。けれども、目標が出来ました。それは、ドッグトレーナーになって、沢山の人に自分の知識を分け与え、人も犬も幸せに暮らせるようにする事です。まだまだその目標を実現するには時間は掛かりますが、ゆっくりでも、少しずつでも、不幸な犬や猫を減らす為に、私も出来る限り協力したいです。
眞子さんのお陰で事実を知る事が出来、目標を持つ事が出来た事が出来ました。
ありがとうございます。
◆ 瀬川 219.100.149.254 <classis@m13.alpha-net.ne.jp> 2005-06-19 (Sun) 03:07:33
>ぺピンさん
はじめまして、大変な活動ご苦労様です。
(私の方は、家の周りでホームレス猫の餌やりをしております。)
妊娠している猫の、不妊手術・・・・・
私のところも、中々間に合わず耳の痛いところです。
(生まれるはずだった子猫にも、産むはずだった親猫にも、申し訳なく思っています。)
ところで、
「外にいる猫に餌を与えることが引き起こす悲劇」と書かれていますが・・・・・
誠に恐縮ですが、
「餌を与えないことが引き起こす悲劇」もあるように思います・・・・・
(どうぞ、外にいる猫たちの話を、聞いてやって下さい。)
ノラ君
「実はぼくら、一人じゃ生きては行けないんだ。」
私
「でも、きみらは野良って呼ばれてるだろ。」
ノラ君
「人間はそう呼ぶけど、ぼくらの主食は生ゴミ、
時々、善意の人がくれるエサにありつけるんだ。」
私
「そうか、きみらは野良って呼ばれても、
野生の中で生きているわけじゃないんだね。」
ノラ君
「そうなんだ、人間がくれるエサや生ゴミがなけりゃ、
ぼくら、生きては行けないんだ。」
そんなわけで、彼らは何処までも人間に依存する動物、
長い歴史の中で、そのように改良(変形)されて来ました。
また、今の日本には、彼らが自活できるほどの豊かな自然はありません。
(彼らの運命は、何処までも人間が負っているわけです。)
一つのルールとして、“餌やりと不妊・去勢手術は一体にされる”もの。
どちらを否定しても、「未来の悲劇」か「現在の悲劇」か、いずれかを生む結果にはなるんだと思います。
どちらかが足りなければ、足りない方を補助するのが、
愛護の精神とは思いますが、それでも割り切れないものは残ります。
しかしそれは、私たち人間が試練として負うもの、
彼らには向けないことが、依存する動物への“責任”の取り方なんだと思います。
ノラ君
「えらい難しいはなしだね。
ぼくらは、エサがなきゃやせ細ってうろつくしかないんだぁ。
ところで、みんなが心配している未来の不幸って、ぼくのことかなぁ・・・、
だってぼく、この前、生まれたばかりなんだから・・・・・・ 」
(ぺピンさん、真意が違っていたらごめんなさい。)
TNR活動 ◆ ぺピン 219.121.203.186 2005-06-18 (Sat) 11:35:35
眞子さん、うちの猫お褒めに預かり光栄です。
今度は気の重くなる話ですが、聞いてください。
先日久しぶりに野良猫の不妊手術を依頼され、2ヶ所に出向きました。
合計4匹のメス猫の不妊手術を手伝ったのですが、内3匹が妊娠しており、それぞれ臨月の子5匹、同じく2匹、約1ヵ月の子5匹・・・なんと計12匹の中絶です。
覚悟の上で行っているTNR活動ですが、さすがに考え込んでしまいます。
不幸を広げないための活動が、まだ生まれていないとはいえ、命を奪うという矛盾・・・私は立ち会う必然性は無いのですが、先生1人におっ被せるのも罪だと思い、7匹を看取りました。
そしてさらに気が重いことに、その2ヶ所には猫がうようよ(日中だというのに10匹以上)とたむろしているのです。
「この猫達は不妊手術済んでいるのですか?」「いいえ、ほとんどオスだから大丈夫なのよ。」
これ以上増えてもらっては困ると手術を頼んできた人に、あまりきついことも言えず、
「メスだけ捕まえるのは非常に困難ですが、出来る限りのことはします。それで月日の経過とともに徐々に猫が減るはずですから。」と納得してもらいました。
外にいる猫に餌を与えることが引き起こす悲劇を、もっとしっかりと伝えていかなければと、意を新たにした次第です。